1999年ノストラダムスの大予言

懐かしいですね。

ノストラダムスの大予言・・・

自宅には大量の水を購入してた記憶がありますね。

 

とまぁ、なぜノストラダムス??

これはあまり関係ないんですが、ちょうど1999年出産したという患者さま。

現在46歳なので、26歳の時に1人目を出産。

そこからのらりくらりと妊活してはいたものの、なかなか授からない状態でした。

 

結論からいくと、先月で妊活は終了されました。

 

26歳で出産には至ったものの、これも妊娠するのに2年少々かかったとのこと。

なかなか授からないことに不安だったから、クリニックにも行ってはみたものの当時のクリニックはまだ妊活や不妊治療をいう部分にフォーカスした内容ではありませんでした。

エコー見て、基礎体温測って。その繰り返し。

何だかこれで大丈夫なのかと思ったけど、それでも妊娠でき、そのまま出産に至りました。

 

まだ年齢的にもとお子さんが4歳位になるまでは2人目については考えず、次を考え始めたのが30歳の時でした。

同じように、まずは基礎体温を測り、クリニックで卵胞チェック。またその繰り返し。

今にしてみると、何にも分からない状況の中でのタイミングを図るのもなかなか辛いだろうと思います。。

1年過ぎたあたりで、妊娠。

 

心拍確認後に流産。

まだこの時は単なる偶然であると思っていたので、辛いけどまた次に進むために妊活を再開しました。

割と早い段階で、妊娠。今度は9週で流産。

第2子妊活を再開してから、3年の間に3回流産。今だったら不育症の検査を受けさせますが、当時はまだそんな情報がなかった時代です。辛い状況が続く中で、対策もなく妊活をしていくこと。本当にしんどかったと思います。

テレビや週刊誌くらいでしか聞いたことがなかった体外受精を、当時できたてのクリニックに行き説明を受けました。まだ患者さまの数も少なく、具体的な治療法も分からない時代。ネットで調べるというのも普及はしてなかったですしね。

実際体外受精をしてみると、結果は良好。初期胚も胚盤胞も問題なく育つので、移植にもあっさり進めていたようです。

採卵して、複数採れて、移植して。

約1年半ほどの間に、5回流産。

 

そこで妊活はやめました。

私には無理なのかもしれないと。。

 

そこからはなんとなく自然な流れに身を任せ、気の向くままに過ごしていました。

生理が来なくなって、クリニック行って、そのあとやっぱり出血して。最終的には流産でした。

 

そこからまた年月が過ぎた頃、30代後半で不育症のクリニックを勧められ行かれることになったのです。

 

血液検査の結果は、簡単に言うと・・・

・血が固まりやすい

・免疫の問題

と言うのが原因だったようです。

 

血が固まりやすいのはアスピリンで解決できそうでしたが、免疫の問題というのは非常に難しい。

受精卵は、卵子と精子が半々でできています。半分他人、これだけじゃないけど原因の一つと考えられています。

半分他人だとどうしても拒絶反応が出やすい。薬は色々試しつつも、やはりうまくいかない。

 

そして41歳になり、ここが最後と思いクリニックと鍼灸に通い始めました。

 

年齢要素を懸念していましたが、胚盤胞にはなるので移植には問題なく進めていました。

薬は投与しながら続けていましたが、それでもやはり進まない。免疫抑制剤も最近は使いつつでしたが、やはり継続しない。

結局原因が分からず、つい最近まで妊活していました。

 

そんなこんなで今、妊活を終了。

多分20回は流産してると思うけど、途中からは数えてないと仰っていました。

私ほど流産している人あまりいなくないですか?と聞かれたり。なんと答えてあげるのがベストなのか・・・。

 

今は色んな検査が受けられる時代になったので、未然に防ぐことも内容によってはできます。

ある程度検査をしてから治療に臨むことも重要かもしれない。今はそれができるから。

 

やってダメなら検査をして・・・では、あまりにも時間がかかりすぎてしまいます。かといって、最初っから検査しまくるのも違うのかなとは思ったり。結局長く治療していると、やっとけばよかったなとかって思うことが多々あります。

先に原因なるものを潰して進むか、後にするかの違いですが、早い段階で原因を潰した方が良いように思います。

(個人的には)

 

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