6年半の妊活日記①
コロナの状況にも関わらず、何とかしてご来院いただくことが最近多いです。私からはマスクのプレゼントくらいしかできないので申し訳ないところですが…。
こちらの患者さまは、6年半共に頑張ってきました。
もはや他人とは思えないくらい、知らないことはなかった気がします。
嬉しいことも、辛いことも。
来月出産で、先日最後の施術でした。
彼女が妊活を始めたの同時期にいらっしゃったので、妊活のスタートから今まではずっと把握しています。
タイミングも1年、人工授精も6回…全くうまくいかなかったあの時も相当しんどかった。
まだ29歳だったので、周りは妊娠・出産ラッシュ。自分だけ妊娠しないことに焦りが生まれる。
なぜ、私だけ妊娠しないのか。
なんとなくタイミングと人工授精を繰り返していたけど、やっぱりかすりもしないからそろそろステップアップするかという話になりました。
仕事柄、平日は全くと言っていいほど休めない。遅刻も早退もできない。
これこそが最大にネックで、非常に難しかったのです。
小学校の担任を持っての状況は、クリニック通いがかなり難しく通院がハードなところや待ち時間が長いところは行けない。さて、どこに行くか。そこから色々検討して、ある程度薬で調整が効きつつ、診療時間が長めのクリニックに行くことになりました。
もう4年前くらいだから、今とクリニック事情もかなり異なりますけどね…
体外受精をはじめて気づいた点があったのです。
お二人とも年齢は若く、検査上問題がない。刺激してみても卵も採れるし、精子も申し分ない。
胚盤胞になるけど、なんだか小さかったり見た目とはいえグレードも悪かったのです。4BBや3BBとか。(このクリニックは当時、Cがつくものは破棄されていました。)
10回は採卵して、1回あたり採れた数は5~8個。単純計算で5個/1回(仮定) × 10回 = 50個
なのに実際凍結されたのは6個。
今にして思えば、あまり刺激があってなかったのかなと思いますが…いけるクリニックに限りがあったので仕方ないですね。とりあえず移植していく事になりました。
自然周期で移植し、1回目は陰性。全くもかすりもしないとは思ってなかったので、かなりショックでした。
2回目、3回目も同様の結果になるくらいなら何か対策を講じたかったけど、やれることもなかったのでそのまま移植。
2回目は陰性。
3回目は、陽性。。でしたが、結局化学流産に終わりました。
正直ここまで来るのにこんなに時間がかかることを予期していなかったので、2人してかなり疲弊していました。
職場にもさすがに言い逃れするのも難しく、結局不妊治療していることをこのタイミングで伝えました。
職場に言うか言わないかは、言いたくない。
でも言わずに通えるなら通いたいけど、どう考えても難しい。言いたくない、言いたくない…でも言わないといつまでたっても妊娠できない。
この悩みから解放されて、仕事を辞める女性も多くいらっしゃいますもんね。
とりあえずは何が何でも妊娠することを目標に、ここから頑張ろうといったところでした。
大丈夫、来年こそは!と思う2017年の年末でした。
道、長い…
続きはまた次回。